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金継の歴史

金継の歴史

金継の歴史

馬蝗絆

 その昔「馬蝗絆」という茶碗がありました。(背景の画像)
その茶碗は平重盛が12世紀の時代に中国の人より贈られました。
その後、室町時代15世紀に将軍足利義政の所有となります。
 足利義政はその茶碗の底にひび割れがあったので、これに代わる茶碗を求めて中国に送りました。
中国ではこのような優れた青磁茶碗は今は無いとのことで、その茶碗のひび割れを鎹(かすがい)で止めて日本に送り返してきました。
これが焼き物を修復し復元させるという発想の原点と伝えられています。

 その「馬蝗絆」という中国より送り返された茶碗の修復は美術的な観点からすると決して美しいものでは無かったようです。日本では漆や金粉などを利用する漆工芸技法が盛んでしたので、美術・芸術性を向上させるため「鎹(かすがい)」を「漆に金」に移り変わったようです。

破袋

 重要文化財で桃山時代の17世紀初期の水指。古田織部が伊賀の窯で焼かせ大野主馬に送ったもので、同封された手紙には「大きなひび割が入っているが、今後これほどのものはできないので納めて欲しい。」と記している。
 このことより判断すれば伊賀の窯から出来上がった時点で大きい破れが確認され、お茶道具の水指ですからそのままでは使えないので用を成すには漆による修復され、金継ぎ(大正十二年の関東大震災で焼けたので金が載っていたかどうか解りませんが)が施されていたと考えられます。よって桃山時代17世紀初期は金継ぎの技法は当たり前のように行われていたようです。

鎹(かすがい)で止める

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 中国で現在も行われている陶磁器の修復作業。鎹(かすがい)で止めて甕や器などを復活させているようです。中国大陸は広く割れたから買い換えるというのはそう容易く無かったと思います。今日でこそ交通の便は良くなったものの以前は動画のようにおじさんが自転車で各地を渡り歩き破損した甕や器など修復して回られたのでしょう。

金継ぎを使う

 海外では破損した器など使わないと言われていますが、日本では16世紀末まで優れた陶磁器などは輸入に頼っていたので破損した器はもったいないので修復してまでも使うという文化が根付いたのかもしてません。
 また、漆を使った漆器を作る技術が発展していたため、漆器職人が副業もしくは作業の合間に頼まれた器を金継していたと言われています。接着材の役目でもある漆が鎹(かすがい)の代わりにもなり、接着してその上に金を蒔く金継ぎ(金繕い)が発展しただろうと考えます。
 人体に害の無い弁柄(第二酸化鉄)や炭などを使い下地を作り、害の無い金属で金や銀などで蒔絵を施すという事や漆は施工者に害が有るものの凝固してしまえば害は無くなるという長い年月で習得された工夫も人々の知恵かもしれません。

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